|
作家、画家、芸術家、教授のトーべ・ヤンソンさんが6月27日に亡くなりました。とくに、ムーミンの創造者として、世界的に知られるヤンソンさんは享年86歳でした。
トーべ・ヤンソンさんの画家としてのキャリアは、1920年代後半の14歳のときに挿し絵を描いたAllas Kronika誌で始まります。1940年代には、Garm誌のイラストに初めのムーミン・キャラクターが登場しています。 ムーミンのお母さんと知られるヤンソンさんは、"マルチ"芸術家で小説家として又、画家としても高い評価を得ています。イギリスのEvening News紙で1954年に始まった、ムーミンのマンガは世界中に広がり、日本ではアニメとして登場しました。ムーミン・シリーズの最後の本は1970年に発表された「ムーミン谷の11月」、またヤンソンさんの生涯最後の本は、1996年に発表された「ハル島」です。
トーべ・ヤンソンさんは、1914年8月9日に芸術一家に生まれました。お父さんは、有名な彫刻家、ヴィクトル、お母さんのシグネは雑誌や本の挿し絵を担当するイラストレータでした。弟ぺール・ウルフはカメラマンで、もう1人の弟、ラッセは作家で、後にはムーミンのマンガもトーべから引き継いで描くことになりました。(弟のラッセは去年亡くなっています。)
ムーミンに、トーべが最初に出会ったのは、1930年代にストックホルムの叔父の家からアート・スクールに通っていた頃です。トーべが夜につまみ食いをしているのを見ておじさんが「ムーミンの妖精が首に息を吹きかけるよ」と注意したのです。日記に落書きされた大きな鼻のキャラクターが、本になったきっかけは、第二次世界大戦でした。「絵を描くのがすごく役に立たない事のように思えて、"昔々"から始まる物語を書きたくなった。」と後にヤンソンさんは語っています。戦後、1945年に棚からその物語を取り出し、絵をつけて出版社に送り、初めてのムーミン物語「小さなトロールと大きな洪水」が世にでることになりました。
ムーミンの世界は、トーべの家族を反映しています。鬱になると家族を連れて船出をするムーミンパパはお父さんのヴィクトール、創造性(イラストの仕事)と家事を行ったりきたりするムーミン・ママはお母さんのシグネです。そして、ムーミンはトーべ本人、そしてちびのミイもトーべの分身といえます。
日本でムーミンは3度もアニメ化され、フィンランドでは逆輸入版のムーミンが放映されました。アニメの人気もあり、80年代にはおもちゃ、服、お菓子といったムーミン・グッズが誕生しました。そして、1993年にはフィンランドのナーンタリにムーミン・ワールドが誕生し、夏の間多くの観光客が、ムーミン・ファミリーに会いにきます。タンペレ市にあるムーミン谷博物館もムーミン・ファンには見逃せない場所です。
トーべ・ヤンソンさんはマスコミにはあまり登場せず、プライベートを守っていましたが、これでファンが減ったという事は全くありません。その逆で、できるだけファンからの手紙に個人的に直筆で返事をしていたほどです。
子供から大人まで多くのファンを魅了したトーべ・ヤンソンさんのご冥福をお祈りします。
|
|
| |