ジャン・シベリウス
ヨハン・ユリウス・クリスチャン・シベリウス(ジャン・シベリウス)はハメーンリンナで市の医官であった父クリスチャン、母マリアの第2子として1865年12月8日に生まれた。ジャンが3歳のころ、フィンランドでチフスが大流行し、父クリスチャンが病死。父の死後、借金がかさみ一家は破産し、母方の祖母の家に引っ越したので、ジャンがハメーンリンナの生家に住んだのは、わずか3年あまりとなる。その後、何度か引越しを繰り返し、19歳まで学生時代をハメーンリンナ市内で過ごした。ジャンや弟が学んだ尋常学校(現在の高校に当たる)は音楽が盛んな学校だった。ジャンは、1885年尋常学校卒業とともに、音楽の勉強のためヘルシンキに出た。一家はその後、弟クリスチャンの卒業とともに全員でヘルシンキへ移った。
ヘルシンキでバイオリンと作曲を学んだ後、ベルリンとウィーンに留学。シベリウスは生涯で、7曲の交響曲をはじめ、バイオリン協奏曲、交響詩、組曲、歌曲など多数の作品を生み出した。楽風は当初、チャイコフスキー、グリーグなどに代表されるロマン主義とシンポリズムにフィンランドの民族音楽を取り入れた形で、特に、当時、盛んに唱えられていた民族の自立とカレリアニズムの影響を受け、民族主義的楽風を創り出し、フィンランドの音楽界に多大な功績を残した。1899年に作曲された代表作「フィンランディア」はロシアの圧政や検閲に対する抵抗、抗議運動のシンボルともなり、国民の独立心を鼓舞した。その後、ヨーロッパ印象主義的楽風に移行(交響曲第4番)。晩年は、古典主義的で普遍的楽風となり、その楽風は「テンペスト」や「タピオラ」に代表される。
シベリウス関連の施設は、ハメーンリンナの生家と、ヤルヴェンパーで1904年から亡くなるまで暮らした家「アイノラ」、トゥルクの「シベリウス博物館」が一般公開されている。
シベリウスの人生(日本語)
シベリウスの生家
アイノラ
シベリウス博物館
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