建築の歴史
1957年ロンドンで開催された現代フィンランド建築展は、イギリス報道機関の
大々的な反響を得た。それは海外では初めてのフィンランド建築展であり、前年
に設立されたフィンランド建築博物館の若い建築家オスモ・ラッポ(Osmo Lappo)
によって構成された。展示パネルに用いられたトウヒや岩の地肌は、自然の中に
いるような感じを与え、建築物と同じ様に大切なものと考えられた。夜には、建
築家のニットのネクタイがフィンランド・デザインの見本として、危うく失いそ
うになるほど持てはやされた。フィンランド・デザインも関心の的であった。
第二次大戦後の復興期、特に50年代を通じ、フィンランドは近代建築の国とし
て国際的な認知を得る突破口を開いた。しかしフィンランドは、全く何もないと
ころから突然世界の建築の舞台に躍り出たのではない。半世紀以上前から、フィ
ンランド建築は新しい国家の運命やアイデンティティーを体現する手段として発
展して来たのである。早くも1930年代から、イギリスの建築評論家J.M.リチ
ャーズ(J. M. Richards)は、フィンランド旅行で多くの建築的発見をし、後にそ
の成果を彼の書物を通して世に知らせた。

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マイレア邸(Villa Mairea), アルヴァー・アールト (Alvar Aalto)設計、
ノールマルック(Noormarkku) 1939年
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フィンランド建築の全体像は、20世紀の終末を間近に控え、以前よりまとまり
が無くなってしまっているものの、建築の基本的な役割はそれ程変化していな
い。フィンランド文化全体のイメージが、建築を通して表現されているのであ
る。ニューヨークのコロンビア大学で教鞭を取っているケネス・フランプトン
(Kenneth Frampton)は最近、フィンランドは「総体として、今世紀を通じ他のど
の国の追随も許さない偉大な近代建築文化である」と述べている。ではこう言わ
れる背景には、どのような要因があるのだろうか。
自然と伝統
フィンランド建築とはほとんど例外なく、近代建築、あるいは少なくとも過去
100年の間に誕生した建物群を意味する。1920年以前のものは13%以下と建築全
体の歴史が浅いので、まず他に言い様がない。フィンランドで建築家の養成が始
まったのは、19世紀も終わりのことであった。19世紀以前の建築図面はほとんど
存在せず、19世紀初めになってからも非常に少ない。従って、少なくとも中央の
ヨーロッパ諸国と同じ意味で、アカデミックな伝統を語ることは出来ない。
しかしアカデミックな伝統の欠如という不利な立場は、新しい影響を取り入れ
ることの妨げにはならなかった。早くから先入観のない建築に対する創作態度が
あった。近代的な躍動する国家の理想像が、新しい公共建築物という形態の言語
を通して表現されたのであった。建築家の養成が始まった時、女性も直ちに参加
した。実際フィンランド人のシグネ・ホルンボリ(Signe Hornborg)は、米国を除
いて世界初の教育を受けた女性建築家の一人であり、ヴィヴィ・ロン(Wivi
Lonn)は、今世紀初頭におけるフィンランドで最も重要な建築家の一人である。
フィンランドは今でも極めて人口密度が低く、平均は1平方キロメートル当た
り17人弱である。国土は自然が豊かで、70%が原生林、10%が水域である。首都
ヘルシンキの中心部でも緑地の占める割合は高く、これは19世紀初頭に巧みに作
成された都市計画によるところが大きい。少ない人口のおかげで、比較的自由に
自然に囲まれた中に建物を配置することができた。自然の仕組みとスケールをプ
ランの中に取り入れることが可能であった。
北国で最も大切な自然の恵みは光である。冬は光が乏しく、夏は有り余るほど
あるとはいえ、それは本質的に南国の光とは異なっている。南国の光は鋭い角度
で差し込み、短く鮮明な影で建物や細部の輪郭を明らかにする。北国では影が長
く、光はもっとやわらかく、輝きを含みながらもどこかぼんやりとしている。光
は空間の形、ファサード表面の肌触り、また内部の雰囲気に決定的な効果をもた
らす。その意味で、光と空間の相互作用は建築の中心的な要素である。
フィンランドはまた欧州の最も端に位置する国の一つであり、地理的には東西
文化の境界にある。17世紀の棟梁達が木造教会に用いた革新的な建築手法を除け
ば、フィンランドでは建築上の発明はなかった。新様式や技術革新は、ヨーロッ
パ中心部の文化圏など他の場所で発生した。それらは遅れて、しかも時には迂回
してフィンランドに入って来た。その多くの場合スウエーデンが仲介役であっ
た。世紀の転換期には、イギリス雑誌「ステューデイオ(The Studio)」が重要な
情報窓口となった。その後の数十年間は、建築関係の発行物に加え、建築家がヨ
ーロッパ各地を旅行することによって、実際の建築に直ちに成果をもたらした。
地域的解釈

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ヘルシンキ中央駅
エリエル・サーリネン(Eliel Saarinen) 設計
ヘルシンキ(Helsinki)市1904−19年
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しかし新しい流れがそのまま導入されることはなく、その土地の自然条件、気
候、環境、利用可能な資材に適合するよう図られた。そうして生まれた様々なヴ
ァリエーションは、元のテーマとは決定的に異なることもあった。アルヴァ・ア
ールト(Alvar Aalto)は、フィンランドには70以上のゴシックの大聖堂があると
言って、外国の同僚たちを驚かすことが好きであった。ここで彼が言おうとした
のは、フィンランド産の灰色の石で出来た簡素な教会であった。使われた石は花
崗岩で、花崗岩は重く加工しにくいため、手本にしたヨーロッパ中央部の教会と
比べかなりシンプルな造りである。そこには大聖堂を喚起させるものはほとんど
ないが、質素な中にヨーロッパ文化の一部であろうとする強い欲求が窺える。
フィンランド建築と古典主義的伝統の関係も同様である。数少ない富裕な大邸
宅から小作農家にいたるまで、古典主義建築の表現、寸法、装飾モチーフは、そ
の持ち主の乏しい資産状況に合わせて取り入れられた。現存するこうした建物の
大半は19世紀以来のものであり、その機能的建築は、独自の簡素化した方法なり
に古典主義的伝統を踏襲している。一方1920年代の北欧古典主義は、建築家が旅
行したイタリアの、特に日常的建物(architettura minore)や、素朴な農家の両
方から刺激を受けた。そうした古典主義の影響は後に同じ建築家によって機能主
義的作品へと繋がっていった。このように1920年代の古典主義は、ルネサンス期
の古典主義に対する解釈を再度解釈したものであるために、時によっては単なる
「影の影」として特徴づけられて来たが、一つの独立した建築の時代としてだけ
ではなく、今日に至るまでの伝統の伝達者としても極めて重要であった。
アルヴァ・アールトのデザインには、初期の古典的形式に特徴づけられる建物
から、古典主義の基本テーマが近代建築の表現と結合している晩年の建築プロジ
ェクトに至るまで、明らかに古典主義建築の原理が見られる。
実際フィンランド建築の中心となる特徴は、外からの影響に対する開放性であ
り、それはまた状況性、つまり地域の条件や資源の活用を追求する精神と結びつ
いている。19世紀末から20世紀初頭のナショナル・ロマンティシズムが、その名
前にもかかわらず、ヨーロッパのユーゲント即ちアールヌーヴォーをそのまま取
り入れたことは、その好例である。それはスクエア・ラブルの石材加工技術など
北米各地から各種のモチーフを採用し、フィンランドの石造教会や木造農家の均
整のとれた世界と材料の持つ効果を、国際性と結びつけた。結果的には、独創的
でフィンランド色の強い建築の出現であった。他方、1950年代の建物は合理的ア
プローチと有機的アプローチの統合を表現している。その出発点は世界共通のモ
ダニズムであったが、フィンランドでは特にアルヴァ・アールトやエリック・ブ
リュッグマン(Erik Bryggman)の作品に見られるように、既に第二次大戦前から
造形的、触覚的、自然的な特色を備えていた。
自然の仕組みとスケールが建築の出発点であったが、建物はそれを取り巻く環
境に溶け込んでしまいはしない。建物が構築された環境は徐々に自然と分離し、
現代建築家ユハ・レイヴィスカ(Juha Leiviska)が「保護された住地域」と表現
した境界域を規定する。伝統的な農家の中庭もそのような自然発生的なリズムで
造られた。
フィンランドの建築家の中では恐らくレイマ・ピエティラ(Reima Pietila)だ
けが、建物に自然の形を装わせようとした。ピエティラのデザインのモデルに
は、石の塊、樹木の先端やその様々な色調、魚の輪郭や製図板の上で眠っている
ネコなどがある。
森林探訪
木材はフィンランドの大地が豊富に生産する再生可能な資源である。石よりも
使い易く、最初に使用された建築資材であった。フィンランド最古の建物は、細
い木の幹で作られた円形の住居であったと思われる。木材は作業がしやすいた
め、創意工夫に適していた。しっかり作られた建物だけが後世まで残っているこ
とから、伝統的なフィンランドの木造建築技術は卓越した印象が持たれて来た。
17世紀及び18世紀に棟梁達によって建てられた木造教会が中でも有名である。
木の使用に当っては、資材が容易に手に入るという他に材質も基本的要素であ
った。木は材質としては、一定程度までは断熱材として機能し、建物の外装、内
装の両方に利用でき、また家具、実用品、装飾品などにも使うことができる。農
家の建物の他に、かつては多くの道具に加え、船、そり、荷車、スキーなどの交
通輸送手段も木で作られていた。フィンランド人はまた、サウナの中で誕生した
時からすでに木に触れていたのである。
町も元はほぼ全体が木でできていた。町は常時火災により破壊されたので、木
造住宅の広い区画に、一定間隔で通りが配列された基本計画が発展した。しかし
残念なことに、1960年代の経済繁栄によってより効率的な都市中心部再開発が進
められると、木造家屋の取り壊しもまた簡単であった。フィンランドではそうし
た典型的な北欧の町は、僅かに数えるほどしか残っていない。
防災が主な背景となって、これまで20〜30年の間、総木造による建物は独立し
た家屋、夏の別荘、サウナなど比較的小さなものに限られて来た。そのため他の
資材、特にここ数十年間はコンクリートが、空間を占領して来た。しかし木は他
の建材と共に、大きな建物の中でも、内装、細部処理、家具など、人に親しみや
すい建材として引き続き利用されている。アルヴァ・アールトは、家具制作にお
ける木の可能性に着目した。それまでヨーロッパのモダニズムの家具制作に用い
られていた曲げ金属パイプは、アールトによって積層合板に取って代わられた。
しかしフィンランド建築では、他の資材も長い伝統を持っている。その何れも
本物の材料を使うことを特徴としている。石と同様、煉瓦は中世以来用いられて
いる。コンクリートは後代の発明によるものだが、その開発に当っては技術的に
も美観的にもより良い品質を目指している。
機能性と技術
戦後復興期の主要な目的は、妥当な価格で機能性に優れた住宅を十分確保する
ことであった。これはかなり熱心に実験が行われ、寸法、柔軟な土地利用計画、
規格化などが試験された。快適でかつ機能的であり、また健康的な住環境を作り
出すための住宅デザインが、中心的課題と捉えられた。
アルヴァ・アールトは戦前の作品ヴィラ・マイレア(Villa Mairea)を、大規模
な住宅建設に応用しうる解決策を模索するための一種の実験室のように考えてい
た。彼の目的は、自然の中に手本を求めた「伸縮性のある規格化」であった。
アウリス・ブロムステット(Aulis Blomstedt)は音楽の調和について研究し、
それに対応する寸法や比率を追求した。最近のオフィスビルが建てられる以前
の、初期の形のエスポー市の田園都市タピオラは、最もふさわしい自然と隣接し
た都市生活、森林都市を代表している。その後数十年に渡って、フィンランドの
住宅地はタピオラを模範として建設され、様々な成果を上げた。
その他の中心的な建築の任務は、教育・文化目的の空間をつくることであっ
た。特に1980年代にはアート・センターがフィンランド各地に開設され、そこで
は舞台や視覚芸術、また図書館が同じ屋根の下に収められた。学校も、地域のコ
ミュニテイーに奉仕し、情報伝達を促進するセンターとして、多目的利用を考慮
に入れてデザインされている。
フィンランドでは建築は常に実用性を最優先し、計画は理論的、概念的プロジ
ェクトとしてではなく、実際に実現されるものとして立てられるのである。その
ため建築と技術は、建設方法が建築を決定した1970年代の集合住宅を別とすれ
ば、並行して発展してきた。デザインの出発点は利用可能な技術であり、技術は
逆に空間の変化や機能を損ねることがないように、より柔軟な方向に開発されて
いる。
ケネス・フランプトンは、現代フィンランド建築に共通な背景的要素を新造形
主義と定義した。それはテオ・ヴァン・ドウースブルフ(Theo van Doesburg)及
びその他初期のオランダのモダニストに始まり、ミース・ファン・デル・ローエ
(Mies van der Rohe)やフランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)の幾つ
かの作品も特徴づけている建築要素の構成原理である。フィンランドでは新造形
主義の本来の考え方を発展させることにより、最も多様な建築プロジェクトにも
適用できる自由な仕組みが編み出された。新造形主義はまた、かなり異なったア
プローチも可能にした。建築は様式に基づく形式的な要求に拘泥されることな
く、その環境及び機能面での出発点から真っ直ぐに成長することが出来たのであ
る。
現代フィンランド建築
在米国フィンランド大使館
(Embassy of Finland, Washington DC0

ミッコ・ヘイッキネン(Mikko Heikkinen) +
マルック・コモネン(Markku Komonen)設計
ワシントンD.C. 1994年
斜面の緑豊かな環境の中に、シンプルにまとめられた大きな在米国フィンラン
ド大使館がある。天窓から光を採る中央ホールによって、内部空間は二分されて
いる。ファサードにはガラス・ブロックや緑色がかったガラス、またモスグリー
ンの御影石などが用いられている。ファサードの道路側には、つる草のために金
属フレームが組まれ、自然が作り出したベネチアンブラインドになっている。公
園に面した側は、帆布のひさしに覆われた外部の「桟橋」へと内部空間が広がっ
ている。建物内には会議やオフィス空間の他に、小さな図書館と多目的室があ
る。
トゥルクの音楽学校
(Turku Conservatory)
トゥルク音楽学校はもとロープ製造工場と造船所であった建物に、繊細に配置
されている。室内楽のホールとなっている造船所の中央部分の壁は、できるだけ
軽やかに、その空間が視覚的に旧外壁まで繋がっているように見えるよう、ガラ
スでできている。新しい内部構造をデザインする際、コンサート・ホールのロビ
ーと繋がる鉄骨のホワイエ部や入口のキャノピーを現在支えている橋梁クレーン
など、建物の元々の用途に関連した構造がそのまま用いられた。
フィンランド森林博物館及び森林情報センター
(Forest information center "Lusto")
森林情報センターの円弧部分は、木とコンクートが用いられている。木材は唐
松とトウヒである。ファサードはタール系の防腐剤処理が施してある。展示空間
には光が上から差し込み、四方には周囲の景観が開けている。建物は、屋外展示
パビリオンや展示ケースと共に、その構成主体である木材によってまとめられ、
変化に富んだ統一体を形成している。
Asunto Oy Laivapoika,
Ruoholahti
この建物群はヘルシンキ市が建設した住宅を代表するものであり、民間資金に
よる所有アパートと政府融資援助による賃貸あるいは所有アパートの両方が入っ
ている。更に身体障害者用のアパート群、家族住宅1棟、工芸家のアパート2棟、
高齢者用アパート群、移動障害を持つ人のために個別にデザインされたアパート
など、多くの特別な住宅も組み入れられている。建築としての表現、機能的な要
求の解決法、建設技術のどれもが、この住宅では向上を遂げた。溝付きコンクリ
ートのファサード・パネルの青色は、海辺に近い場所であることを表している。
ガラスのバルコニーの透かし模様は光を集め、中庭や各住居に光を運んでいる。
Geodetic research institute
この建物は樹木に覆われた斜面に自然なたたずまいで立地されている。オフィ
ス空間は木立側にあり、公共用空間、実験室、及び図書室は南側と東側に位置し
ている。建物のファサードはその大部分が純白であるが、細部や内装部は強い色
が用いられている。変化に富む空間の高さ、精巧に仕上げられた細部や、新鮮な
色使いなどが内装の特徴である。
Mannisto church
1995年ユハ・レイヴィスカ(Juha Leiviska)はカールズバーグ建築賞を授賞
し、重要な建築家として国際的に認められた。審査員会はマンニスト(Mannisto)
教会を始め彼のすべての作品に見られる建築的特徴について次のように説明し
た。
――内装は音楽的印象を喚起させる。それは「光が奏でる楽器」である。親密さ
と厳粛さ、光と影、開放性と閉鎖性など異なる雰囲気とその広がりが、量感と空
間の中で交錯する。マンニスト教会の内部空間はマルック・パーッコネン
(Markku Paakkonen)による祭壇付近の装飾が放つ光のきらめきに満たされ、その
色調は1日の異なる時間帯や異なる季節の持つ光の変化によって、変容を遂げ
る。――
著者:マルヤ=リーッタ・ノッリ(Marja-Riitta Norri)
フィンランド建築博物館館長
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